予定地

いずれなにか書きます

死ぬ夢の話、続き。

riko.hateblo.jp/entry/2015/07/21/091722 さらに深く考えている。

夢の中で、死ぬと決まった後で「残さないと」と思うことや思いを残すべき人が思いのほか少なくて、でも、そこに違和感がなかった。

いざ死ぬとなると、近くにいてもらった人は母と兄のほかは古い友達1人だけ(といってもなぜ彼/彼女を呼ぼうとしたのかはわからない。そこまで付き合いはないはず)。考えてみたら、仕事関係者も友達も娘のこともあまり考えてはいなかった。すごくドライだ。

思うに、死ぬとなったら、未来を生きるために必要だったはずのものごとが全部執着になるっていうのが自分でもわかっていたような気がする。生きてるから本当に必要で大切なんだけど、死ぬときには違う。

だから、生きてるうちは死ぬと思って生きてたらよくない。生きてるうちに必要なものは生きてるうちに求めるべきだし、死ぬときは死ぬときでなんとかなるからそこから考えてもいいと思った。

断捨離、みたいな考えのあやうさ、そこにあると思う。

★★★

よく「人は1人で生まれて1人で死ぬ」っていうけど、生まれるときには確実に親がいる。もし、父親が死んだり逃げても、最低限、産み落とす母親なしに生まれることはできない。そこから分離して1人になって初めて人間なんだけど、そのぎりぎりのところまで一緒にいてくれる存在があることは軽んじてはいけないように思う。

そう考えると、死ぬときに母と兄を呼んで後のことを託そうとした自分の気持ちはすごくシンプルだった。まるで生まれるときのように死んでいこうとしていた。