予定地

いずれなにか書きます

巽為風の上爻(易のはなし)

サイコロやコインで略筮を立てると、変爻は一つで、変じた後も一定になる。得られた卦を変ずると、だいたい変じる前の爻辞が吉なら変じた後も吉、凶だったら変じても凶、になってるんだけど、たまにそうじゃないのがある。そういうの解釈するの難しいなあと思っていた。

今回の巽為風の上爻はまさにそういうやつで、爻辞は

 	巽在牀下。喪其資斧。貞凶。

「他人に合わせすぎ、へりくだりすぎで大事なものを失ってしまう。良かれとおもってやってるかもしれないけど明らかに凶」みたいな感じ。

一方、変じて水風井の上爻は

    井收勿幕。有孚元吉。

「豊かな井戸は覆いをかけたりせずに湧き出るまま皆を潤す。真心あればもとより吉。」

たぶん、変じて吉になる=将来は吉、というのではなく、変じた後の爻辞を裏の事情として読んで「みんなから慕われ頼られてるような人が、他の人の言動に一喜一憂してたら信頼なくすよ」みたいな感じで読むのかなと思った。

凶と言われてそれを改めた後の有り得る未来、という読み方もできそうではあるけど。

いずれにしても「クヨクヨオロオロ気に病まずにどーんとしとけ」って感じがしますね。

もともと巽為風の卦辞

巽。小亨。利有攸往。利見大人。 

からして、あんまりぱっとしない。いろんな意見を聞いてもずっと決められないとか、人の言うことに左右されるとか、そういう優柔不断な感じの卦。だから「偉い人に意見聞いて決めちゃえよー」みたいな感じだと思うんですが、上爻となると、もう自分自身が周囲からすれば「偉い人」の立場なわけで、そういう人がどうしようどうしようって人に聞いても仕方ないということ。

というか、卦を得るということは何かを思って卦を立てるわけだけど「小亨。」って言うような卦が出る場合、本人は大事って思ってても小さいことだったりする、のでは?

なんか今日はそういうことを考えたりしました。