予定地

いずれなにか書きます

「子どもがかわいいと思えない」って相談に「あなたはよく頑張ってる」みたいな回答してるのを見た。いい回答だって言われてたけど「20年頑張れ」みたいなことも書いてあって、それ言われたら、絶対絶望するって思った。相談してる人が30歳だったら20年頑張って50歳になってから好きなことをやりなさいって言われても死にたくなると思う。

相談してる人、たぶん私と似たタイプなのかなと思った。たぶん、本来は自分に費やせていたリソースが無限にこどもに食われるのを「かわいい」みたいな感覚的なところに落とし込めないんだと思う。それは、自分と子どもを同一視してないからで、子どもが成長してからはむしろ「かわいいかわいい」って溺愛するより良い親である場合もあると思っている。

子どもって、あるタイミングで単に親のリソースを食うだけの存在じゃなくなるし、その時点から急速に「ああ、この人は自分の味方なんだ」って思えたり、「かわいい」とは思えなくても家族としての愛着は芽生えてきたりする。それで十分育児はできると思う。

むしろ、人間はペットじゃないんだから「かわいい」では済まないことのほうが多い。たぶんこの相談者の人の場合、子どもと対等に話ができるようになったら今の悩みはなくなる可能性高いし、ならば、せいぜい数年の話で、20年もいらないって、伝えたい。

私は、そのスイッチが入った瞬間のことをすごく鮮明に覚えている。

まだ娘が保育園に通っていたころのこと、私は人間関係で悩んでいて、ほんと泣きたい気持ちになったことがあった。その時に娘が心配して「ママどうしたの?」って聞いてくれた。とにかく、誰かに話を聞いて欲しかったので、子どもにいっても仕方ないと思いながらも「私、仲良くしたい人がいるんだけど、たぶん嫌われてるんだよね」って、つい相談してしまった。
そしたら「うーん」って一生懸命考えて「何か、その人を喜ばせるようなことをしてみたらどうかな?」とかいう。で「喜ばせるようなことって?」って聞いたら、また「うーん」って考えて「手品とか!!」
その瞬間、その気むずかしい人の前で手品をする自分を思い浮かべて吹き出してしまうと同時に、「一番近くに私の事を一緒に考えてくれる人がいる!CPU増設された!!」って実感して、そこから、格段に気持ちが楽になったのを覚えている。たぶんそういう瞬間が絶対あると思う。