予定地

いずれなにか書きます

おかしいこととか矛盾していることとか今はまだ解決する方法がない問題に関して鈍感になりたくないとずっと思ってきた。最初に「なんじゃこれは」とおもった時の憤りはずっと持ってないとダメで、鈍感になった時点でクソみたいなことしかできなくなる。で、年取るとたいていそうなる。マグマのような感情を持ちっぱなしだと精神が潰れてしまうから普通は鈍感になるんだけど。

手帳の記事を書いててつくづく思ったのは、自分が、忘れることとか、思考を一旦横においておくこととかに関して、相当工夫を重ねてきたんだなということ。

紙に書いて忘れるのは、感情を鈍らせずに一旦冷凍保存しておくような感じだと思う。それは、ある意味呪術みたいな部分があって、呪符をつくるときはたいてい手書きで書くものだ。書くことによってそれを呪い、刻みつける。そして、それを一旦心から消す。心から消すプロセスの大事さは呪術において本当によく言われることで、手放さないと大いなる力を借りることができないみたいなイメージをしている。手放さないとそれに引きずり込まれるから「人を呪わば穴2つ」っていうらしい。

デスノートに名前を書くように、手帳にタスクを書いて潰していく。その中で、後ろ側にある本当の問題を呪って忘れてることを繰り返してる。でもいつでもその問題に触れた時は気持ちがたぎっている。それは本当に大事なことだと思う。