予定地

いずれなにか書きます

恋愛の本当に甘美な部分って自分の中に閉じ込めておくのが一番美しいと思うし、そうやって閉じ込めているのに微妙にあふれてくるどうしようもない部分を再構築して表現したいという美意識がある。
たまに短歌作ったりポエムめいたものを書くとき、あるいは写真を撮る時には、それがそのまま出てこないよう頑張って隠している。自分の感情の一番いいものは自分と相手だけのものとして大事にしまっておきたい。よく知らない誰かと共有したくない。いつも「勝手に感情を乗っ取られたくない」って言ってるけどそれの延長線上でそう思ってる。少なくとも恋愛するときの感情を共有できるのは相手だけにしておきたい。そういう相手としか恋愛なんてできない。というかすべきではないんだと思う。
私にだって、世間から美しく見えそうなものを外に出して見せびらかしたい、みたいな気持ちはあったし、ある。のろけられたりしたい。でも、そんな飢餓感を満たすために相手を利用するのがどれだけ失礼なことかもわかる。今、こういう文章を書いて公開しているのは、その飢餓感から来ていて、やむにやまれないことだからやってるけど、そんなものは自分だけで完結しておくべきで、相手のあることではやりたくない。相手に申し訳ない。
だから、劇場型恋愛は好きになれない。うっかりそういうものを見てしまうと非常に気持ちが悪い。そう感じてしまう自分が他人の幸せに非寛容なように思えて罪悪感があったけど、非寛容なのは劇場めいた舞台装置の上で行われる幸せごっこに対してであって、静かな本当の幸せは永遠に続いてほしいと心から思っている。本当のところをちゃんと隠してくれる人とは友達になれるし、そういう人と恋愛の話がしたい。
思いと表現の間に人生があるんだから、恋愛は人生の中にあるものなんだと思う。ベラベラと表現できてしまうとすれば、それは何か他のものだ。