予定地

いずれなにか書きます

Content-type: text/hugs&kisses.

最近、テキストだけのやりとりのもどかしさ、みたいなことを考えてしまうことが多くて、どうして触れ合うことができないんだ、みたいな文脈から「Content-type: text/hugs&kisses.」ってフレーズをふと思い出した。

これ、なんだっけって思ったら、元ネタはここだった

ちょうど6年前の7月1日にブックマークしていた。さらにこのページが最初にブクマされてた日がその1年前の7月1日で、このテキスト自体、7月1日に何かの縁があるのかもしれない。

しかし、もともと仕事とか関係なく、個人的な非常に情けない感情からたどり着いた言葉なのに、このテキストを読み返すと、あらためて身が引き締まるような思いがした。コミュニティを運営することに対してもっと真摯にならねばと思った。

自分がよく使うたとえで「とても大きな風呂敷を引っ張り合って広げるイメージ」ってのがある。私は「努力、忍耐、謙遜」というサイドに立って全力で風呂敷を持って走りたいのだと思う。そして「無精、短気、傲慢」の人が逆サイドに向かって全力で走る。走って走って、走り続けたら、世界を包めるかもしれない。

2007年の自分は、心の底からそういうふうに思っていたんだった。そういう境地に生きてるうちにたどり着けるかどうかはわからないけども、今もやっぱりそう思っている。その時に全力で走れる体力が残っていたら、もう死んでもいいから全力で走りたい。