予定地

いずれなにか書きます

ヘイトスピーチとか炎上とかの難しいところって、当事者が悪いことをしてる意識がまったくないところ。だいたい「貴族の圧政に抵抗するために戦う庶民」とか「汚い金持ちからしか盗まない義賊」みたいなものを「善きもの」と感じてしまう感性は誰もが持ってるのだ。
目立っている人や、お金を稼いでいる人、語るべき言葉を持っている人、それを多くの人から受け入れられている人、ちゃんとした会社に勤めている人、家族や恋人に恵まれてる人、美しい人、才能のある人・・・etcは、すべて、そうでない人から見ると、不当に財産を持っている悪者なので、何かの落ち度が見えた瞬間、滅ぼされるべき存在になってしまう。
炎上の対象になってしまった人と同等のものを手にしている人にとっては、「単なるいじめ」であり「単なる嫉妬やひがみ」であり駆逐すべきものであるヘイトは、火を燃やしてるほうの視点では、たいてい「聖戦」や「革命」であったりするから性質が悪い。
「それで得られるものなんて何もない」ということに気づいた人から抜けていくんだけれども、若いほどそういうヒロイズムに煽られやすいので、構造的に新しいプレイヤーがずっと参入してくるようになってる。
おそらく規制とか社会的な構造を変えるとかより、現実的には貴族方がヘイトを煽らないように振る舞うか、ある程度安全地帯みたいな貴族サロンを作るという方向に行くんだろうなと思う。あるいは社会と人との関係性自体がなんかじわっと変動していくとかそういう方向で収束するんじゃないかと思う。
「盗んだバイクで走りだす気概を持て」みたいな年寄りに対して「バイクを盗まれたほうの身にもなってみろ」って若者が言い返す、そういう進化に対してはすごく希望を感じる。