予定地

いずれなにか書きます

はじめることより終わらせることが大事な気がする

何か新しいことをはじめることの成果って測定したり可視化しやすい。小さいことであれ、新しいことを提案するのは楽しいし、クリエイティブなことをやってる気持ちになれる。

でも、何かをやめることの成果って短期的には可視化しづらい。

たとえば、サービスが機械的に送ってるメール。配信したら、毎回多少はそれにともなって、こちらの望むいいアクションがかえってくる。アクセスなり購買なりにつながる。でも実は、長期的にそれが微妙な不快感を蓄積していて、ある日、何かのタイミングが重なった瞬間にネガティブな効果につながることはあるし、自分自身の体験を振り返ってもそういう実例はいくらでも上げられると思う。でも、たとえば、それを未然に回避したとして褒められることは、まずない。回避したということはたいてい気づかれないし、数値としてもわかりやすく効果がでるものではないから。結果、無駄なアクションはどんどん増えていく。止めるきっかけがないから。検討しなおすことがないから。

可視化されていない長期的なリスクによって、成果がある程度可視化されている状況を覆すのには想像力が必要で、決定権のある人がその想像力を持っていない限り、覆らない。

たぶん長期的に考えると、見た時にびっくりするような新しいことができる人より、実は、ちゃんと終わらせられる人のほうがクリエイティブなんだ。

でも、その価値を単体で評価できる人は通常いないので、提案できない。結果的にプロデューサーとかディレクターとか、そのプロジェクトの責任者がちゃんとわかってる場合でないと、たぶん終わらせるべきものをちゃんと終わらせることは難しいと思う。

始めたなにかを「やめませんか」っていうのは本当に本当に大変なことだと思う。そして、それが言える人はとても少ない。特に明確な不都合がない限り、多少ウザい感じのものも、飽きられて新鮮味がなくなってる感じのものも、潜在的にリスクがあるものも、そのまま走り続ける。そういうのはほんとよくないと思う。