言葉の重みとかリスクの話
"覚悟の無い人間は、何を言っても言葉に実がなく軽い。"
よきひとの吉野 - 歌餓鬼抄
なんか、女の子がわりと軽く「イケメン」ってほめたりするのに対し「言葉にリスクを負っていない」って憤慨したという話を聞いた。伝聞だけど。*1。
確かに、リスクを負わずに適当に褒めたつもりになるのはよくないなあと思いつつ、一方、そうやって適当に褒めるコミュニケーションをとることは人間関係の潤滑油なのだから、お互いにわかって流せばいい、という考え方もあるし。
ただ、言葉に対してリスクを負わない習慣はやっぱりよくない。たぶん、そういう習慣がつくと言語表現はどんどん平板で表層的で信頼のおけないものになるように思う。*2
で、そういうことをずっと続けていると、オオカミ少年みたいなもので、本当に心のそこから伝えたいことがあるときに平板な表現しか出てこないゆえに信用されないってことになりかねない。
逆に、リスクに対して慎重になりすぎて、思ったことを伝えられないとしたら、それもまた怠慢で覚悟がないんだ。黙っていればリスクも発生しないけれども、自分に対して誠実であるためには、伝えるべきことはきちんと伝えないといけない。そういう習慣をつけることは、最終的にはやはり、本当に心のそこから伝えたいことがあるときの言葉の重みにつながるんじゃないかしら。
言葉って刃物みたいなもので、きちんと切れ味を保つよう毎日の鍛錬が必要なのだろう。なまくらな道具を振り回したり、死蔵して錆びつかせてたら、いざというときにちゃんと使えない。だから、それなりの覚悟を決めて日々扱わないといけないものだと思う。
冒頭に挙げた、リスクを負わない言葉に憤慨したといった人は、うちの元バイトで今は某社で営業担当やってる。で、うちでバイトする前は夜の仕事やってたらしい。そういう経歴ゆえに、おそらくリスクを背負わない言葉に触れまくってきたであろう彼が、尚そこに憤慨するということには重みを感じる。