12/28 目標とか
目標を決めたとして、そこにむかってかつかつに走るというのでは、たぶん何も意味がなくて、定量化された目標の向こう側に設定されている本来の意図に向かって全力で走れば、自動的にそこはクリアするだろうという目標設定をしないといけないのだと思う。
たとえば7時17分の品川発の新幹線に乗るという目標を設定すれば、あとは自動的に烏丸御池の始業時間に間に合う。でも、本来の意図は始業に間に合うということなのだから、7時17分品川でなくてもいいんじゃないですかね。新幹線の中で仕事が完全にできるのであれば、別に新幹線内で10時を迎えても問題ないし、いや東京オフィス使ってもいいじゃないですかという本質的なところになっていく。そこを履き違えると「新幹線が止まっていたので目標達成できませんでした」みたいなことになる。
リーズナブルな目標を設定して、その目標管理で評価をするのはわかりやすいけど、本来の意図がわかってない「頭の輪あるいい人」が評価系統に混入すると、おそろしく馬鹿な効率の悪さが発生する。少なくともその目標の本来の意図というのは評価者と被評価者がちゃんと共有してないとだめだ。そういうのは当たり前だと思うんだけど、いろいろ話を聞くと、あんまり当たり前でもないのかも知れない。現状、自分の今いる会社がそうなってるというわけではない。ただ、暗黙にそういう意識が共有されているからたまたまうまく行っているという状況は、非常に危うい。だから書きとめておく。