予定地

いずれなにか書きます

12/20

例えば、平安時代の和歌の贈答は、テキストデータだけではなくて紙とか筆跡とか墨の色、はたまた焚かれた香、添えられた花、贈る方法、など、情報が極端に圧縮されていて、そういうものに憧れがある。
狭い貴族の世界でコンテクストを過剰に共有した関係の中でだけ成立する遊びなのに、1000年以上残る強度があるとかすごい。
和歌単体をテキストで大量に読むと、実は、かなりパターン化された花鳥風月土地文物と、パターン化された感情表現の組み合わせでできてて相当平板な感じを受ける。かなり紋切り型で、そりゃ正岡子規もdisるわなって感じなんだけど、贈答する行為とエピソードの伝達経路とかそういう部分までも含んで作品なんだと思う。もっというと、現代に生きる自分たちの心で「昔の人もそう思ってたんだな」と腑に落ちたり、そういうところまでが作品なのではないだろうか。