予定地

いずれなにか書きます

7/17

どうしたって心の疲れがたまっている状況なので、猫がたくさんいる居酒屋で癒されようと出かけたのだけれど、店がいっぱいなので別の店で飲んだ。谷中銀座を抜けたところにある沖縄料理と岩手料理の店「みさき」からスタート。

みさき

食べログ みさき

そろそろ空いたかと思って、猫居酒屋のある「初音小路」という書き割りみたいな飲み屋街に戻ってみたけど、やはり猫居酒屋は満杯。斜め向かいのカウンターバーのお母さんがなんかいい感じっぽかったので入ってみて地元のおじさんと楽しく飲む。もう一度見に行ったらすでに猫居酒屋は閉店。結局猫にはあえなかった。
その後、路地一番奥のワインバーで飲む。すでにそのへんの記憶はおかしくなってるけど、同行者にすげー精神的に脆弱になってる部分をぐっさりやられて泣きながら飲んだような感じがする。どこをどうごまかしたって心の疲れの主な原因なんてそこしかないんだし、自分じゃどうすることもできない部分だから傷ついて弱ってるしかないという結論になんとなく達してしまった。
すごいネガな気分になってて、書き留めておきたいので書くけどたたむ。後で消すかも。
飲みながら、消えてしまいそうに見えて心配だとか言われたけど、だいたいにおいて、昔からそんなに生きる意欲に満ち溢れているほうではなく、非常に微妙なところで生きてるのである。かつて「生きるのがつらい」とか言ったときにいいおばあちゃんになりそうだから生きていて欲しいといった人がいて、だから死ぬまで生きようと思ったりしたんだけど、その人はもう私のことなんて見ていないんだから、そしたらもう別にがんばって生きていいおばあちゃんになっても仕方ないし、私に残された義務なんてのは子供を育てることぐらいで、かろうじてそこでつなぎとめられている。ただ、自殺とそれが未遂に終わった場合の面倒くささを考えるとだらりと生きていたほうがまだしんどくない。だから、たぶん意識的に死ぬということはないと思う。とはいえ、死ぬようなアクシデントは私たちの周りをいつだって取り巻いていて、それにぶつかってふらりとあちら側に行ってしまうようなことはあるかも知れないし、もう私はあんまり地面につなぎとめられていないようにも思うし、すでに精神の8割ぐらい過去の思い出やら妄想だの不確かな希望だの現実ではない部分に割かれていて、残り2割で現実をまわしているような状況ではちゃんと生きられているかどうかも疑問である。時間が癒してくれるかと思っていたけれど、時間がたてばたつほど状況は悪化している。
追いかけてきてもらいたくて逃げようとしているんだけど、本当を言うと追いかけてきてくれるなんてこともないのだから、逃げる意味すらない。あの人のいるところ以外どこにもいきたくないけど、そこにはもういけないのだから、私にはもうどこにもいく場所はない。